突然だが、日本人は真正面から闘って負けるのを恐れるあまり、敢えて屈折したものを生み出し、それを複雑な理由で支持し、さらにその複雑さを理解できるように振る舞うことが良しとされている気がする。
例えるなら、「下手ウマ」がもてはやされる感じだろうか?いや、例えば、ババ抜きして勝ったら絶対「イェーイ!」って喜ぶのに、負けたら
「いや…あの時あのカードを引かない可能性も私には残されていた…でも私はこの結果に満足している…だってこうなったことには必ず意味があり、その意味を知るために私は生まれてきたから…負けたことで負けた人の気持ちが理解できたし、私は負けるまでの過程を大事にしたい…むしろ負けて良かった…」
みたいな感じだろうか。勝ったら、イェーイ!って喜ぶのに。
Twitterが苦手だ。先ほどの話は全く関係ない。Twitterやっている。ただ苦手意識を感じている。私は1989年生まれの30代だ。ギリギリ平成生まれだが、「年寄りだから苦手なんじゃないですか?」と言われれば、その通りだ。返す言葉もない。
今回は私がTwitterを苦手な理由について。Twitterにモヤモヤしてる方は、一緒に溜飲を下げていこう。
目次
- Twitter苦手だけど最初にこれだけは言いたい
- 私がTwitterを苦手とする理由8つ
- Twitterが苦手な理由①万単位で「いいね」が集まるツイートに偏りがある気がするから
- Twitterが苦手な理由②「いいねが多い」=「正しい意見」という単純な風潮が苦手だから
- Twitterが苦手な理由③当たり前のことを上から目線で知らない人に諭されるから
- Twitterが苦手な理由④特定の作品についてコソコソ「おぉ〜」と盛り上がるノリが苦手だから
- Twitterが苦手な理由⑤匿名という盾を利用して言いたい放題だから
- Twitterが苦手な理由⑥匿名なのに、それでも過剰に空気を読まなければいけない閉塞感を感じるから
- Twitterが苦手な理由⑦多くの「いいね」を獲得する投稿に対して「いいね」と思えないから
- Twitterが苦手な理由⑧「リツイート」=「私もその意見に賛成です」という非言語的な主張が苦手だから
- Twitterが苦手な理由を調査!交流が苦手なのはあなただけじゃない?
- まとめ!Twitterが苦手でもいいじゃないか
Twitter苦手だけど最初にこれだけは言いたい
今回の記事は「私がTwitterを苦手とする理由」だが、もちろんTwitterの存在意義を否定しているわけではない。耐え難い喪失体験や別れを経験した人同士がTwitterを通して交流する、同じ趣味を持つ者同士が情報交換をする、ファンとの交流もしくは推しとの交流といった、有意義な利用方法もあると思う。もちろん辛い日々をTwitterのおかげで乗り切れている…という人もいるだろう。
実際、私もTwitterを使っている。飲食店の情報を調べたり、仏教の小話を読んだり、仕事関係の情報収集をしたり、タコの赤ちゃんを見たり。絵は描けないが、絵の上手な人のツイートも好きだ。
ただ、今回書くことは嘘ではなく本心だが、例えば来年の今頃自分で書いた記事を自分で読んで嫌悪感を抱いたとしても、それはそれでよいと思っている。
だから同じように、これを読んでいる方も、「そうだ、そうだ」という感じで軽い気持ちで読んでくれたらな、と思っている。この記事を読んだ数ヶ月後、数年後、仮にTwitterが大好きになっても「厚顔無恥め」なんて自分を責める必要は別にないと思うので。
それから、誰にでも承認欲求はある。自慢のパートナーを誉められたり、かわいい自分の子どもに多くの人が反応してくれたり、自分の珍しい発見とか、渾身のイラストが何万もの「いいね」になったりしたら誰でも嬉しいだろう。だから、Twitterに投稿したのにいいね0だ…と落ち込んだ自分を「そんなことで落ち込んでつまらない人間だ」なんて責めないでほしい。
ちなみに私のTwitterアカウントのフォロワーはほとんどいない。そんな奴が書いた記事なので、本気で感動したり怒ったりせず、真剣に読まずに「ふ〜ん」くらいの気持ちで読んでほしい。
私がTwitterを苦手とする理由8つ
最初に私がTwitterを苦手とする理由を総括すると、マウンティングや足の引っ張り合い、高い意識の共有など、やらない方が平和なことを、あえてみんなやっている…という点に限る。まあ、ジャンルによっては自慢ばかりの発言も多い。明らかな自慢ではなく、「〜に感謝!」や「驚きすぎて震えてる…」みたいな「匂わせ自慢」も多いが。
Twitterというのは本来、心の声を表に出すためのSNSなのだから、その都度感じたことを自由に書けばいい。意見がコロコロ変わってもよいし、言っていることに一貫性がなくてもよい。
幸せなのはよいことだ。幸せなら、Twitterを開いてどれだけの人が自分の幸せを認めてくれたか数えてないで、その目の前の幸せを享受すればよいのではないか?ましてや、知らない人のアカウントを批判したり文句を言ったり、揚げ足を取ったりするなんて、そんなことは今すぐ止めたほうがよい。
関係ないが、今の時代は大変だな、と思う。「普通のいい人」でありながら群れにうまく溶け込みつつ、人よりも秀でた何かを持ち、ネットの世界でも輝いていなければいけない。横並びからはみ出さないように気をつけながら、多くの人に認められる「人と違うこと」を持たないといけないのだ。世の中は「ありのままが一番」なんて言いながら、ありのままの自分を認めてくれないことが多い。心が疲れてしまっても仕方ないだろう。
一見誰が見ても正しいような正義を振りかざして、平気で名もなき「誰か」を傷つける。私は、Twitterには、そんな行為が当たり前に蔓延っている気がしてならない。
Twitterが苦手な理由①万単位で「いいね」が集まるツイートに偏りがある気がするから
一つでも多くの「いいね」よりも、自分の「いいね」があればよいと思う私は年寄りなのだろうか。せめて家族や友だちに「いいね」と言ってもらえれば大満足という意見は、もしかしたらある人にとっては「信じてれば夢は叶うよ」と同じくらい白々しいのかもしれない。
Twitter上で公開されている漫画、芸能人の発言、現金やプレゼントを配る告知、YouTuberからのお知らせ、動物の珍しい瞬間を捉えた写真、など「いいね」が集まるツイートには、いろいろある。もちろん「見ましたよ」「悪くないね」くらいの軽い感じで「いいね」を押す人も多いと思うが、やや若者の嗜好に偏り気味な気がするのは私だけだろうか。そして何より、「いいね」を押したもの同士の連帯感は、その「いいね」に共感できない人(私)にとっての疎外感である。
多くの人に支持されたツイートは、「いいね」されないツイートは価値が低いという間違った風潮を作り出す。誰だってみんなに「いいね」と言ってもらいたい。だから人はだんだん、どうしたら「いいね」がもらえるか考えてTwitterを利用するようになる。だから「いいね」が多いツイートはみんな似通っている。
自己肯定感を上げる「令和」っぽいツイートやみんなの心の声を代弁したかのような愚痴ツイート、大人の予想を超えた子どもの行動などなど。「自分はあまりよいと思えない」と感じても、それは自分の中に溜めるしかない。Twitterは一見、自己主張ができる自由なSNSのように見えるが、心の中の本当の本当の本音を自由につぶやいている人はほとんどいない。
空気を読んでいないように見せかけて空気をめちゃくちゃ読む、これがTwitterに必要はスキルだ。これに私は疲れを感じることがある。
Twitterが苦手な理由②「いいねが多い」=「正しい意見」という単純な風潮が苦手だから
Twitterは政治的なSNSだと思う。駆け引きが功を奏するという意味で。言い換えれば、「いいね」さえ多ければ、信用に足りる、素晴らしい発言だと認められたことになり、何かを宣伝する機会が与えられるという風潮もある。
しかし、当たり前だが、「いいねが多い」=「正しい意見」ではない。いいねが多いツイートを鵜呑みにして、さらにリツイートなんてして「これが正義、だっていいねが多いから」なんて主張する感じが苦手なのだ。世の中は善悪二元論では語れない。白でも黒でもない数々のグラデーションを、必死に生き抜いてきた経験と知恵で判断し、さばいていくのが人の世だ。
「いいねが多い」=「共感が多い意見」も合っているようで合っていないと思う。確かにTwitter上では共感されているかもしれないが、現実世界に出たら、海外に出たら、それは否定されてしまう意見かもしれないからだ。Twitter王国と異なる世界観の現実、コミュニティはたくさんある。それなのに客観性を思い切り投げ捨てて「いいね」を求める風潮が苦手だ。そして何より、いくら正しくても思いやりがなければ人を傷つけることがある。
Twitterが苦手な理由③当たり前のことを上から目線で知らない人に諭されるから
Twitterでは、当たり前のことを上から目線で言うアカウントがもてはやされるようだ。
人気のツイートの中には「厳しいこと言います。〜な人の特徴は〜」とか「厳しいこと言います。あなたが〇〇なのは〜」などといったズバッと言う発言も多い。あとは「お金持ちの友達が言ってたんだけど」「精神科医が言ってたんだけど」などを付けて説得力を上げる発言も散見される。
- 夜はいろいろ考えずに寝ろ
- 毎日コツコツ努力しろ
- 成功したければがむしゃらにやれ
などなど、パターンはいろいろある。また、口調が命令形でなくても、情緒的な発言が人気を呼ぶ傾向もあるように観察される。
- あなたが頑張ってること知ってるよ
- 私たちは幸せになるために生まれてきた
- お父さんとお母さんが休むこととも育児の一つ
- 眠いのはあなたが限界まで頑張ってるから
などなど。まあ、これらの発言には優しさが含まれている。否定するつもりはない。
しかし、これらの発言にストレスを感じるのは、こちらが言い返せないからだろうか。
例えるなら、口を塞がれた状態で、知らない人が突然現れて、意識高い発言をされて去られていく…という感じ。言い返す機会がない。リプライしたとしても、相手が「眠りたくても眠れない人の気持ちを考えていませんでした」なんて言うはずもないし、「心が廃れた可哀想な人だ」と、これまた知らない誰かに同情されて終わりである。
Twitterが苦手な理由④特定の作品についてコソコソ「おぉ〜」と盛り上がるノリが苦手だから
Twitterはユーザーの指向性を判断して「おすすめツイート」として並べているので、全体には言えないことかもしれないが、やはりTwitterはアニメ・漫画系のネタに対する反応が大きいと思う。例えば、とあるアニメキャラがファンが喜ぶような要素を含む形で描かれた絵に万単位で「いいね」が付く。もちろん作品を知っている人や、その作品に夢中になっている人からすると「いいね」なのかもしれないが、その作品を知らない私は同じ気持ちを抱けない。
そしてさらに苦手なのは、「その絵に対して同じ気持ちを同じテンションで抱ける者同士」の仲間意識みたいなのが透けて見えることだ。そしてその「共通意識」みたいなものの重要性は、特に日本人同士のコミュニケーションにおいて、非常に高いように感じる。「内輪ネタ」が大好きというか、「大勢の中の一員」に入れる安心感を感じやすいというか。
同じ語彙、共通理解を持つ者同士が楽しむ雰囲気が苦手なのかもしれない。ハイコンテクスト過ぎるというか。
Twitterが苦手な理由⑤匿名という盾を利用して言いたい放題だから
匿名だから言いたい放題、これはTwitterもヤフコメも同じかもしれない。ただ不思議なことに、過激な発言をし続ける人はほとんど存在せず、品行方正な意見に賛同するとか、弱いものを庇う発言に賛同するとか、日本のTwitterは比較的お行儀がよいと思う。
一方それを振り切って、はっきりものが言える人は日本ではヒーローになりやすい。言いたいけど言えないことを代弁してくれているようで、胸がスカッとするのだろう。
ちょっと話が逸れるが、日本では「どっちもどっち」という意見を持つことが「最も大人的対応」と認められることがある。そりゃあ、それを言ったら世の中の全ては「どっちもどっち」なのだが、「どっちもどっち」が日本では万能な武器というか、それを表明することが正義のような風潮がある。
ワイドショーなんかでも、コメンテーターは自分が賛成なのか反対なのかはあまり言わない。「こっち側の人からしたら、こうですね、あっち側の人からしたら、こうこうかもしれません、この問題については深く考えていく必要がありますね」なんてコメントが多い。
正しいか正しくないか、賛同されるかされないか、をさておいて自分の意見を述べるよりも、「どっちもどっち」と善悪を飛び越えて達観しているような態度を示すことが重要なのだ。ちょっと話が逸れたが。
Twitterが苦手な理由⑥匿名なのに、それでも過剰に空気を読まなければいけない閉塞感を感じるから
前項と矛盾するようなのだが、言いたい放題の側面の一方で、言いたいことを言えない閉塞感も感じる。
これはTwitterだけに限らないが、どうも日本のコミュニケーションでは批判や反対意見を過度に恐れる傾向がある。「批判覚悟で言いますが」「あくまでも個人的な意見ですが」「もちろん〜という人がいるのも承知していますので、ご批判はお控えください」などという常套句がよく使われるのも、それゆえだろう。
その延長線上で、私はTwitterに、匿名なのに異常に空気を読まなければいけない閉塞感を感じてしまう。逆に誰の意見も聞かず傍若無人に振る舞う人もいるが、それは本当にレアケースだ。
なんだか、みんな周りをチラチラ見ながら投稿している感じがある。誰からも批判されない意見しか言ってはいけないというか、みんながハッピー!感動!笑える!になる意見しか言ってはいけないというか。
ネットで聞きかじった話では、いわゆる「ママ垢」で筋トレの投稿をしたところ、多くの人から批判の声が集まったそうだ。どうやら「子育てで余裕のない人を傷つける投稿をした」というのがその理由だそう。同じ理由で「豪華な食事」もNGで、さらには「子どもの成長」も投稿してはいけないらしい。子どもの成長も投稿してはいけないとは。なんとも世知辛い世の中である。
さらに怖いのは、自身の筋トレについて投稿した「ママ」が「この度は筋トレをしたくてもできない方がいるのに、私欲的なツイートをして申し訳ありませんでした。金輪際ママ垢では筋トレツイートを致しません」と謝罪したことだ。
くだらないってみんな思っているのに、誰も幸せにならないってみんな分かってるのに、それでも周りに合わせなければいけないのだ。ジメジメと湿った陰湿な閉塞感の中に、旬のすだちを投げ込みたい気分になる。あ…こう書くと「すだちを投げるなんて、すだちを育ててる人がかわいそうだろう、謝罪しろ」と言われてしまうかもしれない。
Twitterが苦手な理由⑦多くの「いいね」を獲得する投稿に対して「いいね」と思えないから
焼いた肉の写真、猫の写真、アニメキャラの絵、エモい発言。
「いいね」が多くもらえる発言には特徴と傾向がある。また、もやしや豆腐を使った簡単ヘルシーレシピ、安くて便利なコスパ最高なもの、「国」といった抽象的な対象に対して庶民の本音を綴ったもの、外国人が日本を褒める、なんかも支持されやすい。
本来Twitterの発言は「ウケるwww」とか「すげーwww」とか、そんなんでいいはずなのに、どうにもこうにも、何回も推敲されて、写真もプロが撮ったみたいにきれい(実際プロが撮ったものも多いと思う)なものが多い。特におすすめに出てくるツイートは、「このレベルじゃないとダメなのか」「こんなすごい奇跡の瞬間じゃないと見向きもされないのか」というものばかりだ。
ただし、私はあまり多くの人に支持されるものを心の底から「いいね」と思えない。肉は美味しそうだし、猫はかわいい。絵も上手だし、エモい発言も「そうだよな〜」と思う。しかし、なんだか最大公約数しか捉えていないというか、本当の弱者を代弁していないというか、「Twitter大好き!」と思うほど心の底から共感できないのだ。
「心が寂しい」と言われれば「はいその通りです」。「そんなに深く考えないで楽しめ」と言われれば「おっしゃる通り」です。
Twitterが苦手な理由⑧「リツイート」=「私もその意見に賛成です」という非言語的な主張が苦手だから
リツイートとは他人のツイートをフォロワーにシェアできる機能、引用リツイートとはコメント付きで他人のツイートをフォロワーにシェアできる機能だ。
リツイートをすることでできる意思表示はいくつかある。宣伝系のツイートならば「自分もその情報を宣伝したい」という意思。主張系のツイートなら「自分もその意見に賛成である」という意思。興味を引くツイートなら「自分はそのツイートが好き(なタイプの人間です)」という意思。役立つツイートなら「は〜い、みんな、見て見て!」とお知らせしたいという意思。また、プレゼント企画などで「リツイートといいねで応募しよう」なんてのもよく見る。
まあ、災害情報を共有するなど有意義な使い方もあるかもしれないが、私は特にリツイートすることで他人の主張に乗っかろうとする感じが苦手だ。他人の口を借りて言いたいことを言うのに、自分の主張なのか他人の主張なのかは曖昧にしている。
聞いたところによると、日本のTwitterは世界で一番リツイート数が多いそうだ。自己主張が苦手、という国民性の日本人にとって、このリツイートという機能は大変便利なのかもしれない。現実世界で自己主張できないストレスを、Twitterでは「リツイート」という形で、顔も名前も隠して発散できるのだ。
Twitterが苦手な理由を調査!交流が苦手なのはあなただけじゃない?
当サイトでは、クラウドソーシングサービスを使ってTwitter利用者にTwitterに関する調査を行った。
ここではその結果をご報告したい。
Twitterを使っていて疲れたと感じるのはどんなときですか?
Twitterでイライラしたのはどんなときですか?
誰にも言えないTwitterに対する不満をぶちまけてください
まとめ!Twitterが苦手でもいいじゃないか
数年後には、有名な海外セレブが
「私はスマホを捨てる選択をしたの。だって知らない人のモーニングルーティーンやダイエットの成果なんか見るよりも、目の前の愛する人を大切にしたいから。だから友達にも言ってるの。私と話したいなら、車を飛ばしてカリフォルニアの青い屋根の家まで来てね、って」
なんて言ってスマホ断捨離ブームが起きて、Twitterを見る人も減るかもしれない。
まあ、これは冗談だが、フォロワーが多いとか、フォロワーが少ないとか、そんなつまらない括りで自分を見失うことだけは避けたい。フォロワーが多い「あの人」とフォロワーが少ない「あの人」の言葉の重みは比べることができないのだから。