「仕事疲れた」って思うことありますよね。でも「仕事疲れた」の「疲れた」にもいろいろあると思いませんか。
身体が疲れたのか、心が疲れたのか、もしくは仕事のやりがいに燃えながらも心の奥は静かに疲れていたり。
でもまあ「仕事疲れた」って思っても、急に辞めるのってなかなか難しいですよね。生活のためとか、守らなければいけない家族とか、自分が積み上げてきたキャリアとか・・・。いろいろありますよね。
結果から申し上げると、本記事は読んでも何の役にも立ちません。私が考えたことをつらつらと書き綴っただけの記事です。
それでも、読んだ人の「仕事疲れた」という気持ちが少しでも癒されれば幸いです。
目次
「仕事疲れた」は当たり前のことなのか
「仕事疲れた」と誰かに言うときっとこんな答えが返ってくるでしょう。
「仕事なんだから疲れるのは当たり前」と。
でもこれって本当なのでしょうか。
この疑問に答えるにはまず「疲れた」という言葉の定義をすることが必要です。
また、仕事内容に疲れたのか、仕事場で起きた出来事に疲れたのか、など「仕事疲れた」という言葉の内容も細分化して考える必要があるでしょう。
ここでは「仕事疲れた」という発言について掘り下げてみたいと思います。
そもそも「疲れる」とは?
まず「疲れた」という言葉の定義ですが「疲れる」を辞書で引いてみると、こんな風に書かれています。
体力や気力を消耗してその働きが衰える。くたびれる。「働きづめで―・れる」「神経が―・れる」「生活に―・れる」
長く使ったために物の質や機能が悪くなったり弱ったりする。「―・れた油」「―・れた上着」
飢える。
(goo辞書より引用)
まず②と③の意味はあまり使わないですよね。(そもそも「疲れる」という言葉に「飢える」という意味があるのを初めて知りました)
そしてポイントは、疲れるという言葉は「体力や気力を消耗してその働きが衰える」時に使う言葉。しかし「疲れた」って別に働きが衰えなくても使いませんか?
ちょっと苦手な人と1分会話したら「あ〜疲れた」って言っちゃいますよね。ただ言い換えれば、私たちは普段「疲れた」という言葉を多用しすぎなのかもしれません。
本来は「疲れた」と言えば、もう気力も体力も消耗しヘトヘトの状態。しかし現代ではちょっとしたことでも「疲れた」と多くの人が口にしますので、誰も「ふ〜ん」と気に留めないのです。
また、下記のような調査もありました。
精神的に疲れを感じている人の割合は、1992年からほとんど横ばい。2018年最新の調査では38.1%の人が「精神的に疲れを感じていることが多い」と答えました。
また、年代別に見ると「疲れている」と答えた人の割合は20代が一番多く、48.1%の人が「精神的に疲れを感じている」と答えています。
- 20代の人は結構軽く「疲れた」と言ってしまうのか?
- 20代の人はSNSなど複雑な人間関係の中で疲れてしまうのか?
原因は定かではありませんがおよそ2人に1人が精神的に疲れを感じているという結果は驚きですね。
仕事に疲れた?それとも仕事場での出来事に疲れた?
「仕事疲れた」と人が口にするとき、具体的に何に対して疲れているのでしょうか。
- 仕事の業務内容が多くて疲れる?
- 嫌なお客さんの相手をしなくてはいけなくて疲れる?
- 同僚に気を使って疲れる?
実は「疲れた」と一言で言ってもその内容なさまざま。また、いろいろな種類の「疲れる原因」が複雑に絡まっている場合もありますよね。
「仕事なんだから疲れて当たり前」という考え方は、おそらく業務に対する疲れに対して言っているのでしょう。
業務をこなす、その「疲れ」の対価としてお金をもらっており、多くの人にとってその「お金」とは働くための大きな理由の一つだからです。
業務内容に対して「疲れて」いる場合は、とんでもなく理不尽な仕事内容でない限り、ある程度我慢が必要な場合もあります。
一方、嫌なお客さんの相手をしなければいけない、無駄に同僚に気を使わなければいけない、などに対する疲れは、我慢しなくても良い場合が多いです。
もしかしたら日本社会には
- 嫌なお客さんでも「お客様は神様」とか
- 嫌な同僚でも仏のような心で接してこそ「大人」と認められるとか
いろいろな我慢が求められるかもしれませんが、こういった無駄な我慢はしなくて良いと思います。個人的に。
とにかく「我慢が美徳」である限り、人は幸せになれません。
なぜなば「我慢を美徳」にしてしまうということは、例えるならば
じゃんけんで負けたのに
「俺はじゃんけんに負けたことで、敗者の気持ちを知ることができた。また一歩心の成長を感じることができただろう。相手は確かに勝ったかもしれないが、真の勝負に勝ったのは果たして誰だろうか・・・」
と問題をすり替えているのと同じだからです。
負けは負けです。後から美徳をくっつけても、その美徳はじゃんけんで勝った時にはくっつかなかったはず。
それと同じで我慢は我慢。しなくて良いなら、しないほうが良いのです。
話が逸れてしまいましたが、あなたの「仕事疲れた」の原因はなんですか?
分析することで、我慢する意味のある疲れなのか、我慢する意味のない疲れなのかが見えてくると思います。
仕事が疲れる時に有効な思考法3つ
私も会社員時代、いろいろとストレスが多く大変だった時期がありました。
ここでは、そんな私が疲れた感情をなんとか乗り越えるために実行していた思考法をご紹介します。
私は以下の3つの思考法でなんとか「疲れた」という感情を乗り越えました。
- 仕事はお金のためだと割り切る
- 副業で別のコミュニティがあるから大丈夫だと考える
- 会社がどうなろうが自分には関係ない
真似する必要はありません。多分正しくないと思います。
あくまで私が個人的に実践していた思考法です。
「ふーん」と軽い感じで読んでください。
仕事はお金のためだと割り切る
私は会社員時代、とにかく嫌なことは「お金のためだ」と割り切っていました。
業務内容的には、事務作業と接客業が半々ぐらいだったのですが、お客さんからのクレームの処理も押し付けられる立場にあり、なかなか精神的に疲弊していたと思います。
私は会社員時代に、本当に星の数ほどの理不尽な言葉を投げつけられました。その一部をご紹介するとこんな感じです。
とまあこんな感じでいろいろな怒りをぶつけられてきました。
でも、お金がもらえると思ったから耐えました。お金があれば、家賃が払える、ご飯が食べられる、本が買えるから。
逆に言えば「10倍の給料をもらっても耐えられない」と思ったら、それは本当に耐えられないのだと思います。
私はそう思った時に、会社を辞めました。
副業で別のコミュニティがあるから大丈夫だと考える
会社に属していると、あたかも会社の価値観が全世界の価値観のように感じられることがあります。
もちろん、それは頭では正しくないと分かっている。「会社なんかに縛られるな」というメッセージは令和の時代になてからあちこちで発信されています。
しかし、実際に自分が会社の中にいて、社訓を大声で読まされていたり、ミーティングで「お客様との感動エピソードを語れ」などと言われていると、感覚がだんだん狂ってくることがあるんです。
「この会社の空気に違和感を感じている自分がおかしいのではないか」
と。
だってみんな、一生懸命大声で社訓を叫んでいる。素直に頑張れない私はひねくれ者なのではないか?
みんな、お客様との感動エピソードに涙している。泣けないで一人冷めている私は、感受性が乏しいのではないか?
そんな風に考えてしまうのです。
そこで私は副業を始めました。(副業OKの会社だった)
副業で出会う方々とも、特別親しくはなりませんでしたが、別のコミュニティに入ることで、ちょうど良い息抜きができ、思考もバランスが取れたと思います。
会社がどうなろうが自分には関係ない
すみません。批判がブワッとわきそうな思考法ですが、正直「会社がどうなろうが自分には関係ない」です。
この考え方は日本では
などの批判の対象になりそうですが、社長とかよほどの重役でない限り海外ではスタンダードな考え方だと思います。
むしろ、会社のために自分を犠牲にし続け身体を壊してしまったり、精神的に病んでしまうくらいなら「会社がどうなろうと関係ない」という気持ちで会社の愚痴を友だちに言いまくって自分を守って欲しいです。
私は会社員時代、会社の売り上げで思い切り一喜一憂する同僚を横目に(演技かもしれない。でも私はその演技すらできなかった)
と、ふてぶてしく思っていました。さぞかし性格の悪いひねくれた社員だったことでしょう。
会社員でもフリーランスでも仕事は疲れると思う
今回は、私の会社員時代の愚痴も含めて「会社疲れた」というテーマで書いてみました。
誤解しないでいただきたいのは、私は「会社員は成長できない。フリーランスになれ!」と主張している訳ではありません。
会社員には会社員のメリットが、フリーランスにはフリーランスのメリットがありますし、正直「お金をもらうことに対する対価を提供する」という意味では、どちらにもストレスや「疲れ」はつきまとうものだと考えます。
また、当たり前ですが、会社に勤めていても人生楽しい人は、日本にも世界にもたくさんいます。
確かに日本の仕事観は世界的に見ると偏っているかもしれませんが、日本にも良い会社はたくさんあるはずなので。充実して働いているビジネスパーソンもたくさんいると思いますので。
本記事は、あくまでも私の個人的な「会社疲れた」体験談について、つらつら書いたものです。ご了承ください。
何度も言いますが、本記事は読んでも何も役に立ちません。役に立たないのに、それでも最後までお読みいただき、ありがとうございました。